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2008年01月31日

Altium Designer のベタ塗り

Altium Designer ベタ塗り機能のデザインルール設定
(2006年5月17日の記事に加筆/転載)

Altium Designer の PCB エディタは、四角形しか作れない Fill、自動抜き機能を伴わないSolid Region、自動ベタ抜きの Polygon Pour の3 種類のベタ塗り機能を備えています。

Solid Region は思い通りの形状の面パターンが作りやすいので配線パターンの補強などに便利であり、Polygon Pour を使うと広い面積の均一なシールドパターンを瞬時に作成することができます。

これらのベタは一般的なマウスのドラッグとクリック操作で簡単に作れます。しかしクリアランスの設定がわかりにくくて、私はこれにずいぶんてこずりました。そこでこの経験を踏まえ、このクリアランスルールの設定のコツを伝授したいと思います。

(1) Polygon Pour(自動ベタ塗り)では自動生成されたクエリーを修正することが必要。

デザインルールのクエリーの設定には、Query Builder を使うと便利です。例えばこの Polygon Pourのクリアランスを設定する場合には、 Condition Type から Obhject Kind is を選び Condition Value から Poly を選びます。この結果 IsPolygon の値が返され OK ボタンによりクリアランスルールのFull Query エリアにクエリーが書き込まれます。

しかし IsPolygon ではエラーが発生し、正しく動作させるためにはこれを InPoly に変更することが必要です。すなわちIs In に変更(Poly と Polygon は同じ扱い)しなくてはならないということがわからず、アルティウム ジャパンに問い合わせるまで正しく設定できませんでした。

この Is と In の違いと用法は、「クエリ言語の 内部紹介ガイドhttp://www.altium.com/Files/learningguides/JP/ProtelDXP/insidersguide_querylanguage.pdf に詳しく説明されています。

要するに Polygon は複合オブジェクト(グループオブジェクト)であるので、その構成要素(プリミティブオブジェクト)を指し示す「In」 の記述が必要であるということのようです。

polyrole.jpg

(2) Condition Value で PolyRegionを選ぶと誤ったクエリーが返ってきます。

Query Builder を使用すしてSolid Region (自動抜きの無いベタ塗り)のデザインルールを設定する場合、通常は Condition Type から Obhject Kind is を選び Condition Value から PolyRegion を選びます。しかしここの操作を行うとなぜか IsComponentBody の値が返ってきます。

polybuild.JPG

ためしに Condition Value から ComponentBody を選んだところ IsRegion が返ってきましたので、ComponentBody と PolyRegion が入れ違っていることがわかりました。このため、Query Builder を使って 正しいQuery を得るためには、PolyRegion ではなく ComponentBody を選ばなくてはなりません。

bodybuild.JPG

regionrole.JPG

そしてもう一つ、
(3) IsRegion で設定したデザインルールはPolygon Pour(自動ベタ塗り)にも影響します。

polypour.jpg

たとえば Polygon Pour の Fill Mode を Solid(Copper Regions)に設定した場合、IsRegion で設定したクリアランス値が Polygon Pourにも適応されますので注意が必要です。

Fill のクエリーの生成とデザインルールについては特筆すべき注意点はなさそうです。

おそらくここで取り上げた設定上の不可思議は、ソフトウェアの修正によって解消されると思いますが、それまではこの説明を参考にしてください。 ※ Summer08 ではこの不具合は解消されています。

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2008年01月29日

サポート契約の名称変更

Altium Designer 6 の年間サポート契約の名称が次のように変更されました。

・ TELサポート → 電話サポート
・ メンテナンス・サポート → ソフトウェアアップグレード保証
・ フルメンテネンス・サポート → メンテナンスサポート

上記変更を反映したサポート契約の一覧をご確認下さい。

ad6_support3.gif
Altium Designer はもうすでに 6.8 まできていますので、そう遠くはないと予想される 7.0 の到来を見据えて、メンテナンス契約をご検討されてはいかがでしょうか?

アンビルコンサルティングでは Altium Designer の新規販売だけでなく、年間サポート契約の販売や、アップグレード / トレードアップの販売にも力をいれております。また、アップグレード保証を弊社経由でご購入いただいた場合には特典がありますので、契約をご検討中の方はお気軽にお問合せ下さい。

Links:Altium 情報局Altium 問合せ・請求||Altium Designerユーザ情報サイト

プロテルからアルティウムへ

Altium Designer 6 はその急速な進化により、旧来のプロテルには無い高度な機能を備えた製品として認知され、開発現場に広く浸透しきています。このことはプロテルからアルティウムへの移行が順調に進んでいることを示していますが、プロテルを過去の遺物として無視できるようになるまでには、まだまだ時間がかかりそうです。

以前から Altium Designer 6 の引き合いをいただく際には、プロテルの旧バージョンに関連する質問が多かったのですが、今年に入ってからも相変らず次のような質問が毎日のようにあります。

・ プロテルからアルティウムに変わったのは知っているが、以前のプロテルの後継は
  アルティウムのどの機種なのか?
・ 以前プロテルを使ったことがあるが使い勝手や機能はどう変わっているか?
・ 取引先では古いプロテルを使っているが、Altium Designer 6 を買えば取引先と
 データを共有することができるか?

これらは、アルティウムへの移行の過渡期であるがゆえに生じる疑問ですが、プロテルは10年以上にわたり大量に販売され、今でもまだたくさん現役で使われていますので当面はプロテルとの縁を断ち切れる状況にはならないでしょう。

そこであらためてプロテルからアルティウムへのみちのりを整理し、皆様に安心してAltium Designer 6 をご購入いただけるよう、少々おさらいしてみることにしました。

まず、初期のプロテルから Altium Designer 6 に至るまでの、アルティウム基板設計ツールの進化の経緯をご覧下さい。

Protel2altium.JPG
この一覧に示されているとおり、プロテルデザインシステムの後継は Altium Designr 6 です。そして、従来の Protel 98 や Protel 99 SE 統合版に相当するのが、Altium Designr 6 Board Implementation であり、従来のプロテル回路図エディタ(Schematic)の後継は、Altium Designr 6 Foundation です。

デザインエントリーツールである Altium Designr 6 Foundation は旧プロテルの回路図エディタとは異なり、シミュレータや一部の PCB の機能など、デザインエントリーに必要な機能を完備した統合ツールです。現在の Altium Designr 6 では、従来の Schematic に相当する回路図エディタ単品の販売は行なわれていません。

プロテルからアルティウムへの進化に伴い機能が大幅に増えましたが、回路図やPCBのそれぞれの編集機能は上位互換のコマンド体系を保ちつつ、わりとリニアに進化していますので操作に戸惑うことは少ないと思います。しかし統合環境については計 3回の大きな変更が行なわれていますので、慣れるまでに少々時間がかかるかも知れません。

全ての旧バージョンのプロテルで設計した回路図/PCB/ライブラリのファイルは、最新の Altium Designer 6 に読み込んで再利用することができます。また Altium Designer 6 で作成した回路図ファイルについては、Protel 98(V4)、PCBファイルについてはPCB3(V3)フォーマットで保存できますので、これ以降のバージョンであれば読み込むことができます。

今回はとりあえずこんなところですが、まだまだ旧プロテルに関連する情報が不足しているように思います。そしてまたプロテルとアルティウムの橋渡しを生業としている販社として、時代をさかのぼり旧バージョンに向き合うことの必要性をあらためて痛感しているところです。

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PSpice の記憶

(旧プロテル探検隊からの転載)

1995年にテクスパートでは、MicroSim(現在ではOrCAD)PSpice の販売を開始しました。

当時テクスパートでは、日本にまだ紹介されていないツールやあまり知られていないツールを輸入して国内に紹介するのが仕事でした。しかしPSpice は当時、シミュレータのトップブランドとして知名度は抜群でした。しかも日本支社(通称マイクロシム・ジャパン)も存在し、それまでのテクスパートの取扱い商品とは大きく異なるものでした。

なぜこのような毛色の違う商品を扱うようになったかといえば、それは Protel からしミュレータが出てくるのを待てなかったからです。当時まだOrCAD Capture がリリースされておらず、OrCAD SDT(DOS) のリプレースとしてProtel の回路図エディタ Advanced Schematic が大量に販売されていました。そしてこの多くのユーザの方々から切望されていたのがアナログシミュレータであり、出せば必ず売れるという状況でした。

そこで、当てにできない Protel シミュレータの代役として目をつけたのがこの PSpice でした。また、Protel のシミュレータがリリースされた場合でも、PSpice なら一味違う専門ツールとして Protel と併売できるのではないかという予測もありました。

PSpice の販売開始にあたっては、他の取り扱い商品のような手間のかかる仕事はほとんど存在しませんでした。まず、商品を輸入する必要がありません。またマニュアルの作成や大規模な広告も不要です。日本支社(通称マイクロシム・ジャパン)が全てやってくれるからです。そしてなによりも PSpice はすでに日本でのブランディングが完了した商品であり、極論すれば、種蒔きが終わり成長した作物をただ刈り取ればよいという状態でした。

この時テクスパートに不足していたのは、シミュレータ販売に関する実績とノウハウでした。そこでこれを補うための手っ取り早い方法として最初に実行したのは、マイクロシム・ジャパン内にサポートブランチを設置することでした。

代理店契約を終えた後、すぐにマイクロシム・ジャパン内にブランチを設置し、1年の間、社員一人を常駐させました。そしてここで、マイクロシム・ジャパンの専門スタッフの指導を受けながら、セールスと販売後のサポートに必要なテクニカルな業務を行いました。実質的には、マイクロシム・ジャパン内に営業拠点を置いているようなものであり、失敗するはずのない方法でした。そして、思惑どおりこの方法が功を奏して、短期間にPSpice のビジネスを立ち上げることができました。

セールス/サポートドキュメントを作成するための情報も豊富でした。書籍、マイクロシム社の販促/技術ドキュメントなどが豊富にあり、これらのリソースを利用することもできました。これらのを利用してチュートリアルブックを作成しましたがこの時ひとつ大きな過ちを犯しました。それは競合する PSpice 代理店様のドキュメントから、無断で内容を引用をしたことです。この代理店様からのご指摘を受けすぐにこのドキュメントを回収し破棄いたしましたが、競合代理店様をはじめ多くの方がたにご迷惑をおかけしたことを、今あらためてお詫びいたします。

このころ、短期間に多くの方々に PSpice をご購入いただきましたが、Protel とは関係なく、単独で PSpice をお使いになられるユーザの方に方が多かったように記憶しています。いずれにせよしばらくの間、PSpice の売り上げは順調に伸びて行きました。

Protel と PSpice との併売において問題が露見し始めたのは、MicroSim 社が Massteck の技術を導入して、PCB ツールをリリースしたころです。たしか1996年か1997年の初めくらいだと思います。そしてあまり間をおかず、MicroSim 社はPCBを含めた全てのMicroSim 社のツールをひとつにまとめた、DesignLab という統合製品をリリースします。商品の性格はかなり異なりますが、Protel が目指している統合化の方向とは酷似したものでした。

確かこの DesignLab の価格は200万円を超えていたように思います。当時の日本のマーケットには受け入れられるはずのない製品でしたが、統合の Protel を打ち出そうとしている矢先に MicroSim に先を越されて統合のお株を奪われてしまっては困ります。たしかラスベガスのDACショーだったと思いますが、この DesignLab が発表されたときには本当にあわてました。とにかく統合ツール = Protel のイメージがこれによって削がれてしましと困りますので、急きょ帰りの飛行機の中で、Protel 全商品を組み合わせたパック商品 Smart Combo を企画しました。そして次の日、日曜日でしたが休日出勤してチラシを作り、その翌日の月曜日にProtel の統合ツールとして打ち出しました。

そして 1997 年の終わりころ、MicroSim 社は OrCAD 社に買収されました。 これにより重荷になり始めていたMicroSim /PSpice との関係が消滅しました。この時すでに Protel の シミュレータがあり、テクスパートでの PSpice 役目はすでに終わっていましたので、これ以上PSpiceに固執する理由もありませんでした。

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OrCAD の記憶

(旧プロテル探検隊からの転載)

古くから回路図エディタをお使い方ならご存知だと思いますが、安価なDOS ベースの電子系 CAD 市場で最初に普及したのは OrCAD でした。そしてそのあと Tango、Protel が現れて OrCAD を追い、まさに三国志の状態で顧客の獲得合戦が始まりました。

まあ、当たり障りのない書き出しとしてはこんなところです。しかし現実は OrCAD のひとり勝ち状態であったことはあきらかです。また、初期のTango 製品は Protel から OEM 供給を受けたものであり、Tango と Protel の機能は同じでした。Tango はその後自社開発に移行しラインナップを強化しましたが OrCAD の牙城を崩すことはできず、Windows 時代が訪れるまでは OrCAD の寡占状態が続きました。しかし一方、PCB レイアウトの分野に限って言えば、Tango も Protel もそれなりに検討したといえます。

このように OrCAD は DOS ベースの設計ツールとして、業界標準の地位を築きましたが、最初からトップブランドであった訳ではありません、また何もかもが Windows 化してしまった現在、その地位が保たれているとは言い切れなくなってきています。

薄れかけている記憶を辿り、このあたりの経過を紹介してみたいと思います。仕事には役立たない与太噺ですので、お忙しい場合には長居は禁物です。また、内容は独断の偏見に満ち溢れていますので、決して鵜呑みにはなさらないでください。

最初は追う立場のOrCAD
DOS 版回路図エディタの分野は OrCAD が一番乗りだと思っている人は多いと思います。しかしこの分野への参入は OrCAD よりも Data I/O 社の方が早く、OrCAD は Data I/O 社の回路図エディタ DASH の後を追う形でこの市場に参入しました。

Future Net というネットリストフォーマットをご存知の方は多いと思いますが、この Future Net は DASH から出力される標準のネットリスト・フォーマットです。Data I/O 社は早期に DOS 回路図エディタをリリースし、この Future Net フォーマットのネットリストで、PCB 設計プロセスにデータをわたすというスタイルを確立しました。その後 OrCAD SDT が出現しこの DASH をリプレースしましたが、その後も Future Net フォーマットは長く使われ続けられました。

もう20年くらい前になりますが、OrCAD が DASH の追撃をもくろんだ広告がトランジスタ技術誌に掲載されたことを覚えています。この広告には、DASH と OrCAD SDT の機能と価格を比べた比較表が示されていました。明らかに機能の豊富さでも OrCAD が上回っており、特に出力できるネットリストフォーマットや、標準ライブラリの数ではDASH を圧倒しいることを誇示するものでした。そして価格は数分のIでしたので、商品の競争力には10倍くらいの開きがあるように見えました。少なくともこれからは OrCAD のj時代であることを印象付けるには十分なものでした。

売れて当たり前の OrCAD の機能
OrCAD SDT はその価格の安さもさることながら、売れて当たり前の優れた機能を備えていました。一口に言って実用性の高さでは他に競争相手が存在しない状態でした。

OrCAD は階層回路図のサポート、20種類以上のフォーマットをサポートするネットリスト出力、豊富な標準シンボルライブラリ、使いやすいメニューコマンドなどの多くの特長を備えていました。そしてコンピュータでも、サクサク快適に動きました。なにしろアセンブラで開発されていたそうですから当たり前といえば、当たり前でしょう。そして動作が速い上に、メニューコマンドも気が利いていました。直前に使ったコマンドがメニューの最上部に現れ、繰り返し作業の多い回路図の作成には大変便利でした。

階層回路図のサポートの重要性もさることながら、多種のネットリストのサポートは回路図エディタの汎用性を高める上で重要な意味を持ちます。なにしろ清書するだけでなく、ネットリストを次の工程に渡すことが回路図エディタの役目ですから、相手のフォーマットに合わせることができればその汎用性は大幅に高まります。設計工程の最初に使用する回路図エディタでは汎用性が非常に重要であり、この汎用性の高さが OrCAD SDT が広く支持された大きな理由のひとつであるといえます。

売れて当たり前の OrCAD のマーケティング
まず、米国で 495 ドル、国内で 148,000円とう価格の安さは衝撃的でした。以後この価格は後発メーカの価格設定に大きな影響を与え、迷惑したところも多いのではないかと思います。そしてこのコスト/パフォーマンスの高さに加え、的確なマーケティングによって市場へのアプローチが行われました。

国内では、早期にNEC PC-98プラットフォームへの移植が行われたことと、巧みな広告宣伝が OrCADの普及を加速しました。PCB エディタはともかく、回路図エディタは手持ちのPCで使えないと不便ですので、PC-98 への移植は必須条件でした。しかし、日本語化は行われませんでした。おそらく日本語化のメリットとデメリットおよび他社商品との競争力などを考え合わせると日本語化は不要な状況であったと思います。

そして特筆すべきは、OrCAD 広告の露出度の高さです。トランジスタ技術誌へはカラーの見開き2ページの広告が行われ、毎月表紙をめくったらすぐに目に飛び込んできました。また、パソコンショップのCAD 売り場やネットワーク機器売り場には、必ず OrCAD のカタログが置いていありました。当時私は浜松に住んでおりましたが、メルバという近所のパソコンショップに立ち寄ったところ、なんとこんなローカルな店にも OrCAD のカタログが置いてありました。とにかく雑誌や専門店での大量の広告により OrCAD の露出度を上げ、ことあるごとにOrCAD をエンジニアの目に触れさせるという手法が徹底されていたように思います。これにより OrCAD がメジャーな製品であると印象付けることに成功したと言えます。一方、トレードショーへの出展は、一時期を除いては行われませんでした。これはFace-to-Face による販売を重視していない OrCAD の場合には不要なものだったからでしょう。

このように、売れて当たり前の商品が、売れて当たり前のマーケティングによって売れまくりました。

OrCAD SDT は非常に実用的なツールでしたが、多少変なところもありました。
最初、アレッと思ったのが部品を移動させるコマンドが見つからなかったことです。Block操作のメニューに移動のコマンドがあり、一個の部品を動かす場合にもBlock 化して動かしました。多分これが正しい使い方だと思いますが定かではありません。また、シンボルライブラリのグラフィカルエディタが大変使いにく、大抵の人はテキストエディタをつかって部品シンボルを作っていたように思います。

ソフトウェアのプロテクトも不十分なものでした。米国で売られていたこのは全くプロテクトが行われておらず、国内ではSDTⅢ以降ドングルでプロテクトされましたが、これを解除した違法なコピーも出回っていました。不謹慎な考え方ではありますが、このプロテクトのあまさが OrCAD の普及をいくらか後押ししたかも知れません。

DOS 末期に OrCAD 国内売り上げは、4 億円程度と聞いた記憶があります。多分この金額に大きな誤りは無いと思いますが、いくら OrCAD でも148,000円の回路図エディタだけではこんなには売れません。おそらく日本の市場規模では、回路図エディタは一ヶ月あたり 100-150本くらいしか売れないはずですので、のこりは 598,000 円で販売されていた OrCAD PCB の売り上げなのではないかと思います。OrCAD SDT と PCB が 4:1 もしくは 3:1 くらいで売れ、少なくとも PCB の売り上げで半分位はかせいでいたのではないでしょうか。

そこで、この OrCAD PCB がどんなに高性能なものだったかということになりますが、はっきりいってこれはとても仕事に使用できるレベルものではありませんでした。

浜松で会社を創業したころの話です。当時使用していた OrCAD SDT のイメージに惑わされ、ろくに評価もせず米国版 1495 ドルの OrCAD PCB を購入しました。そしてしばらくのあいだ悪戦苦闘しましたが、結局実用に供することなく手放しました。

当時から、ツールを見る目には自信を持っていましたのでこれはかなりショックな出来事でした。もっともこれは、私の能力不足による誤った評価かも知れません。とにかく、OrCAD のブランドイメージにはいっぱい食わされてしまったというのがその時の正直な印象です。

私はその後この反省から、ツールの評価に多くの時間を割くようになり、今では専門家を自認するようになってしまいました。

たぶん私と同じように、ブランドイメージに惑わされて OrCAD PCB を購入した人は多いのではないでしょうか?...というより、むしろこれが OrCAD PCB の普通の売れ方だったように思います。しかし、598,000円という価格は非常にいい値付けだったと思います。この価格は100万円の約半分、回路図エディタとハードウェアを加えても 100万円近辺で収まるという、手軽にPCB設計をしたい人にはとっても買いやすい価格設定でした。とにかく、ブランドイメージで商品が売れるというのは素晴らしいことです。

OrCAD 社もこの PCB ツールの品質に問題があることを認めていたようで、他社からOEM 供給を受けるべく、目ぼしいメーカに打診していたような形跡があります。Protel ではこの打診を断ったようです。結局この OEM 作戦は成功せず、後の Massteck 社の買収まで、高性能なPCB ツールは現れませんでした。Massteck 買収時にはすでに Windows 時代に突入しており、それまで販売されていた、OrCAD のPCB ツールは即座に Masstek の 製品(MaxEDA)に置き換えられ OrCAD Layout として販売されました。

回路図エディタのWindows 化は、社内開発によって行われたようですが、かなりリリースが遅れました。最初の OrCAD Capture R6 のリリースは、ちょうど Protel の Schematic 3(EDA/Client)とほぼ同時期で、Protelより 3年 くらい遅れたように記憶しています。開発に時間がかかった理由は、OrCAD SDT のコードがアセンブラで書かかれていたので Windows に移植することができなかったという説が有力です。いずれにせよこの遅れは Protel にとってシェアの獲得には大変幸運でした。

このころから Protel は統合化に路線を変え、一直線に突き進みはじめました、このことは OrCAD が Protel に奪われた回路図エディタのシェアを回復するのには都合がよかったかも知れません。

Windows 一辺倒の時代になってからはツールの統合指向がさらに強まり、OrCAD はこの分野で先行した Protel との競争にさらされています。どちらがその勝者であるかは申し上げることはできません。しかし少なくとも現在は、OrCAD 一人勝ちの状態でないことは確かなようです。

(OrCAD、OrCAD SDT、OrCAD CaptureはCadence Design Systems, Inc.の登録商標です)

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Tango の記憶

(旧プロテル探検隊からの転載)

ACCEL Technologies 社の Tango CAD ツールは、1985年ころに Protel から OEM 供給を受けることにより販売が開始されました。このころ、米国のエンジニアの机の上にこのTango のパッケージが置かれているのを良く見かけました。安い価格設定(たぶん995ドル)により、すぐに売れ始めたのではないかと思います。

米国で販売が開始されてから、数年の間は日本に販売代理店がなく、個人輸入の形で日本に入ってきています。京都の京都の(有)明光電子もこのようなユーザの一社で早くからTango を使い始めており、日本に代理店ができるころにはすでに多くのフットプリントライブラリが蓄積されていました。

この間、ACCEL Technologies 社は日本Tango 製品を販売すろためのパートナーを探していました。当時のテクスパートにも代理店をやらないかというアプローチがありましたが、結局、1991年ごろソーテック(工人舎事業部)が総代理店にきまりました。ソーテックは OrCAD の国内販売チャンネルが現地法人化(インテリジェントシステムズ・ジャパン)されたことにより、OrCADとの代理店契約が終了しその代替として、急きょこのTango に移行しました。この時のソーテックにとって Tango は渡りに船の存在だったのではないかと思います。

この時すでに Tango ツールは Protel の OEM ではなく、SeriesⅡという ACCEL Technologies 自社開発の製品に移行していました。Tango ツールの日本への本格上陸はこのバージョンの回路図エディタとPCBツールから始まりました。

この時のソーテック戦略は、PC 98 への移植とプログラムの日本語化により、OrCAD の日本語版として OrCAD ユーザからの乗換えを狙うというものでした。当時ソーテックは5年以上も続いたOrCAD の代理店契約が終了した直後でしたので、アクティブなOrCAD ユーザのリストをたっぷり保有していました。このためこの戦略は非常に的を得たものでした。私が前に在籍していた楽器会社でも、ソーテックからダイレクトメールを受け取り、即座に購入したようです。しかし、ほとんどのOrCAD SDT ユーザは Tango SCH を購入した後もOrCAD SDT を使い続けたようです。おそらくOrCAD の日本語版とはいうものの、OrCADの代用には機能不足だったのではないかと思います。しかし、OrCAD の機能にこだわらないユーザやPCBのウェイトが高いユーザにとって、Tango は実用的な製品であり最適な選択肢であったと思います。

この PCB の販売促進のためソーテックは、前記の Tango 個人輸入ユーザ(有)明光電子から、PCB ライブラリの供給を受け、Tango オプションライブラリとして販売しました。これより数年後のことになりますが、テクスパートでもこの(有)明光電子から、これを拡張した Protel バージョンのライブラリを購入し、Advanced PCB 用としてTechLib-PCB enhanced の名称で販売しました。

当時の価格は、Tango SCH が150,000円くらいで PCB が598,000円だったと記憶しています。当時、OrCAD PCB は実用レベルには達しているとはいい難い製品でしたので、Tango PCB はソーテックにとって非常に販売しやすい製品だったと思います。

このように、当時の Tango は 国内のPC ベースの CAD 市場では優位なポジションにあり、この状況は、Protel が Windows で攻勢をかけてくるまで変わりませんでした。

一方、このころ開発元 ACCEL Technologies と Protel との関係は最悪の状態だったようです。Tango の新バージョンは自社開発ということになっていましたが、Protel サイドとしては、OEM 供給された製品がリバースエンジニアリングされ、取引が一方的に中止されたということで怒り心頭のようでした。事実 Protel Autotrax と Tango PCB SeriesⅡ の間には、ベタ塗り機能以外に大きな違いがなく、どちらかが真似をしたとしか見えないものでした。

(この時からの怨念が作用したのかどうかはわかりませんが、この約10年後に ACCEL Tecnologies は Protel に買収されます)

そうこうしている間に Windows 時代が到来し、Protel との競争が始まります。

1992年ころ米国のトレードショーに出向いた時、Tango の Windows PCB ツールが展示されており、リリース間近のようすが伺えました。この時デモに用いられていた PCB のサンプルファイルは、Protel のWindows 版のデモに用いられていた円形基板とそっくりのものでした。一瞬、また Protel からの OEM が開始されたのかと思いましたがそうではありませんでした。この時すでに、Protel for Windows がリリースされていましたので、単なる後追いのようにしか見えませんでした。しかし当時 Protel は米国での実績がほとんどありませんでしたので、Protel for Windows の出鼻をくじくにはこれで十分だったのかも知れません。

日本では、1993年(1994年だったかも知れません)にTango Windows PCB ツールがリリースされたように記憶しています。この時すでに Protel for Windows は 第二世代の製品に切り替わるころであり、製品の改良がかなりすすんでいました。また積極的な宣伝広告によって知名度も上がっていました。このため、Tango のWindows PCB はリリース早々 Protel for Windows との競争にさらされることになりました。

Tango Windows PCB ツールはリリースの時点で、Protel に対してつぎのようなハンディを背負っていました。

(1) Windows PCB ツールとしてはProtel の後発である
少なくとも1年以上のタイムラグがあったように記憶しています。
(2) 価格が高い
Protel Advanced PCB の 398,000円に対して、Tango のWindows PCB は 850,000円くらいの価格であったように記憶しています。
(3) 回路図エディタが無い
当初 セットで使用できるWindows 版回路図エディタがなくこれがリリースされるまでに1年程度かかりました。

この中で一番大きな問題はその価格設定でした。ほとんど同じようにしか見えないProtel Advanced PCB との価格差が 2 倍以上もありました。また、この80万円を超える価格設定は、ソーテック自らが OrCAD PCB と Tango PCB で築いた 598,000円の価格帯の市場を放棄し、Protel に譲りわたすという結果を引き起こすものでした。

これに対してソーテックでは、日本語化によって競争力を強化しました。また 併売していた DOS 版のPCB ツールの価格を 598,000円から 398,000円に引き下げました。そしてしばらくして、Windows 版回路図エディタがリリースされましたが、Protel との競争は依然として困難なものであったと思います。

その後、このTango のWindows 版は名前が P-CAD に変更されましたが、これも日本では裏目に出たと思います。日本では P-CAD よりも格段に Tango の方が既存ユーザも多く有名でしたので、この名称変更がすぐに売り上げに結びつくことはなかったように思います。

1999年の後半だったと思いますが、Incases 社から供給を受けた伝送線路シミュレータが、P-CAD のオプションとして1,500,000円くらいの価格で販売されたことがありました。しかしこの直後 Protel は 同じものを当時の Protel 99 に組み込み無償提供を始めました。これによりP-CAD では百万円を超えるのものがProtel では無料という、にわかには信じがたい不可解な状況が発生しました。また、このころにソーテックがキョーデンに買収され、国内の代理店業務がアクセルジャパン(通称)移管されたと記憶しています。

そして後の2000年の1月に、ACCEL Technologies 社は Protel(現在のAltium)に買収されます。その後も数年間 Tango のWindows 版は P-CAD の名称で販売が続けられましたが、現在ではProtel への一本化に向けて作業が進められており、収束に向かいつつあります。

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P-CAD の記憶

(旧プロテル探検隊からの転載)

P-CAD は、DOS ベースでは世界初の本格派 PCB-CAD システムとして、米国の Personal CAD Systems 社で開発されました。販売が開始されて間もなく PCB プロフェッショナル向けのDOS 版 CAD ツールとして、業界標準としての地位を獲得します。しかしその後、後発メーカとの競争や幾度もの企幾買収の洗礼を受け、現在では製品もその地位も当時の原型を留めないまでに変化してしまっています。

CAD Personal CAD Systems 社は創業後 10年くらいで IBM 社に買収されます。IBM 社はその後、P-CAD 部門を CADAM から分離し、Altium という IBM 傘下の電子系 CAD 専門子会社にビジネスを移管します。このときAltium には PowerPC(CPU)用ツールを開発していたCAD 部門も合流したようです。そしてその数年後、この P-CAD のビジネスと Altium のブランドは、ACCEL Technologies に買収されます。そしてさらにその数年後の2000年1月、ACCEL Technologies は Protel(現在のAltium)に買収されます。

この変遷の中で、P-CAD 製品が最も大きな影響を受けたのは、ACCEL Technologies が P-CAD を取得した時です。こともあろうに ACCEL Technologies は、当時 Tango の名前で販売していた自社の Windows PCB ツールの名前を P-CAD に変更ました。これにより名前は P-CAD で中身は Tango という新しい製品が誕生しました。そしてこの瞬間に、従来のP-CAD PCB ツールと Tango ブランドは CAD 市場から消滅しました。

ACCEL社としては単に、ブランドイメージの高い P-CAD の名前を付けたほうが良く売れるという判断をしたのだと思いますが、その結果が思惑通りなったかどうかは定かではありません。少なくとも日本国内では、P-CAD よりも Tango の方が有名でしたので、おそらく期待通りの結果にはならなかったように思います。

このような事情により、内容が全く異なる2種類のP-CADがありますので、混同しないように整理しておきます。

(1) 旧型の P-CAD
・ACCEL 社に買収される前
・Personal CAD Systems 社のオリジナル製品
・DOS 製品(Master Designer という名称が付けられていた )
・国内では兼松エレクトロニクスが国内代理店として販売

(2) 新型の P-CAD
・ACCEL 社に買収された後
・Tango 製品の名称変更
・Windoes 製品
・国内ではACCEL Japan が販売
(その後、国内販売はプロテル ジャパン → アルティウム ジャパンに移管)

この新旧の 2 つは、双方共まぎれもなく本物のP-CAD です。そして新型の P-CADこそが現存する唯一のP-CAD です。しかしここでは由緒正しい旧型の P-CAD 記憶を辿り、昔話を綴ることにします。

私が初めて P-CAD に出会ったのは、20年くらい前のことです。当時、浜松の楽器メーカで海外ベンチャー企業で開発された電子楽器のOEM 受託生産の仕事をしていました。この時、OEM 委託元の米国企業で開発に使用していたのが P-CAD です。この委託元企業に出張して、P-CAD の画面を見ながら設計変更の打ち合わせを行うこともたびたびありました。

このことで CAD の必要性を認識し、その後まもなく P-CAD の導入検討を始めました。当時日本では、SPI という会社が、P-CAD の販売をしていましたので、P-CAD のデータを持参しデモをしてもらいました。この時、ベタ塗り部分の修正手順を見せてもらいましたが、意外に手間取るような印象を受けました。たしか吉村さんという方に対応していただいたように記憶しています。古い昔のことですが、CAD は初体験の状態でしたのでわりと鮮明に記憶は残っています。

見積りを取ったところ、ハードウェアを含めたシステム一式で、200-300万円くらいだったと記憶しています。コンピュータはアルプス電気製の互換機をすすめられました。当時日本では、トムキャットコンピュータ (ケイプロ)や日本 IBM の漢字フォント内蔵(5550?)のものなどがありましたが、プラットフォームの選択肢は非常に少ない状況でした。また、当時のグラフィックスの標準は EGA であり、VGA が何十万円もしていたように記憶しています。

この導入検討の際に、いろいろとPCB-CADの勉強をさせてもらいましたが、結局は予算申請が通らず購入できませんでした。このようにP-CAD とのかかわりは、ユーザとして導入検討をすることから始まりました。

CAD を販売する側としての P-CAD とのかかわりは、テクスパート設立の1年後くらいからだったと記憶しています。

当時私たちは、自社で基板設計業務に使用していた PADS PCB の販売に加え、P-CAD の周辺ツールの販売を計画していました。この実現に向けて、国内代理店の兼松エレクトロニクス㈱、およびその代理店の㈱ファーストと㈱ライズコーポレーションの3社とコンタクトをはじめたことにより、再び P-CAD とのかかわりが始まりました。

P-CAD 関係者とコンタクトを始めてすぐに、販売戦略上の問題に気付きました。当時のP-CAD の販売戦略は競争相手である PADS に対してハンディを負うものであったように思います。

国内では AT 互換機ではなく NEC の PC98 シリーズ上で動作するバージョンのP-CAD が主力で販売されており、これに起因するいくつかの問題がありました。

まず AT 互換機と比べるとパワーが劣り、P-CAD プログラムのパフォーマンスを十分に引き出すことができない状態でした。特に表示速度の遅さは目を覆いたくなるほどのものでした。
さらに PC98 では、AT 互換機用として開発されたサードパーティーのP-CAD 周辺ツールが、全く使用できないことも大きな問題でした。

そして私たちはこの問題の解決にビジネスチャンスを見出し、P-CAD 代理店に対して商品の提供を開始しました。主なアイテムは、i486 CPU 搭載のAT互換機とELSA のグラフィック・アクセラレータです。AT 互換機は米国で組み立てテクスパートのブランドで販売しました。

この、ELSA のアクセラレータの効果はすざましく、表示が15倍くらい高速になりました。またSpeed Draw というユーティリティにより、詳細な表示条件の設定が可能になりました。これとコンピュータ本体による速度の改善とあわせると、PC98 ベースのものに対して40倍程度高速化されたことになります。あまりにも良くできているので尋ねたところ、ELSA ではボードの開発に P-CAD を使用しており、社内用としてこのアクセラレータを開発したとのことでした。

このことにより、最も遅いCADという評価を受けていたP-CAD が最も早い CAD に生まれ変わりました。うらを返せば、もともと高速なCADツールが日本向けに低速に仕立て直されていたと言えるのかもしれません。

一方米国本国ではどうかというと、これもあまり芳しいようすではありませんでした。現実を見てみると、IBM による買収のあと創業者の Richard Nedbal は退職し、Advanced CAM Technologies 社(ACT)を設立しています。この ACT で最初に開発された E-CAM の中身を覗いてみるとP-CAD との共通点がいくつか見受けられます。グラフィックドライバーはP-CAD と同じものが使用されており、このようなところからもP-CAD の開発スタッフが流出しているようすが伺えます。

このためかどうかは分りませんがIBM による買収以降、開発が停滞ぎみであったのは事実です。中でも致命的なのは、データベースサイズの32ビット化が大幅に遅れたことだと思います。これは、ピン間 3本の配線には必須の条件ですが、この実現がPADSより大幅に遅れました。ちょうどPADS のWindows への移行が完了したころに、ようやくP-CAD が DOS 製品のまま32ビットになったように記憶しています。

このころ、ことあるごとに海外の関係者に P-CAD をどう思うか聞いてみましたが、P-CAD はよい製品だが古い(It's a good product, But old )という、なんとなく気の無い答えが返ってこることが多かったように記憶しています。業界全体として P-CAD への期待や関心が薄れてきており、すでに 過去の製品であるととらえられているような印象でした。

このように全般的には、大きな期待ができる状況ではありませんでしたが、私たちが提供したAT互換の P-CAD プラットフォームは、主に既存のP-CAD ユーザ様方にご好評をいただくことができました。

その後しばらくして、P-CAD が ACCEL 社に買収され、DOS 版の P-CAD ビジネスは消滅します。短い期間でしたが、このP-CAD のプラットフォーム・ビジネスを通じて、その後の CAD ビジネスに必要な、貴重な知識や人脈を得ることができました。

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Massteck の記憶

(旧プロテル探検隊からの転載)

Massteck と言ってもご存知ない方が多いと思いますのでまず概要を紹介しておきます。

Massteckは、1988年くらいから自動配線ツールを開発/販売していた会社で、初期のツールとして、PADS にOEM 供給されていたPADS Push' N Shove や MaxRoute があります。自社ブランドの商品として、MaxRoute(自動/半自動押し退けルータ)、MaxPlace(クラスタ・プレースメント)、MaxEDA(PCB-CAD)などがありましたが、実際の収益は、OEM や ソースコードの販売に頼っていたように思います。この OEM/ソースコードの販売先として、当時の PADS、MicroSim、CADIX などがあります。

所在地は米国マサチューセッツ州 ボストン近郊のリトルトンという町です。オフィスは小さな森の中にあり、当時の PADS 本社とは、100 メートルくらいしか離れていませんでした。

経営トップは、Dancouse(創業初期)、Al Ackerman (末期)が務めていましたが、実質的なキーマンは、ソフトウェアアーキテクトの DR. Wadland でした。彼は Mssteck が OrCAD に買収される少し前に、新たに開発した NeuroRoute で、HG. Marsh(PADS の創業者)とNeuro CAD 社を起こしています。そしてOrCAD によるMassteck の買収とほぼ同時期に、このNeuro CAD 社をProtel に売却しています。技術だけでなく、M&Aの時流に乗るセンスもあったようです。

DR. Wadland について、はホームページに近況や履歴書がアップされていますので、興味がある方はご覧ください。現在、CADENCE で働いており転職の意思は無いということのようです。

http://www.kenwadland.com/
http://www.kenwadland.com/wadlandrvitae.pdf

Massteck は、私たちが初めて代理店契約を結んだ CAD ベンダーです。ここから私たちのCADツールの輸入業務が始まりました。そして同時期に Massteck から CSI (CAD Slution Inc.)を紹介され、CAMツール(ECAM)の輸入を始めます。そしてその後、芋づる的に人脈が広がって行き輸入品目を拡大することができました。

私が、最初に MaxRoute を目にしたのは1990年の終わりくらいだったと記憶しています。当時米国でCAD 販売を行っていたCAD Concept (日本語を話す Ken Auga 社長)からマクロキーボードを送ってもらった時、MaxRoute のオートデモが同封してありました。それを見てその能力に驚くと共に、Windows(2.1xのランタイム版が付属)環境で動作することにも先進性を感じてすぐに販売することに決め、社内のPCB 設計にも使用しました。

1991年以降、関東圏を中心に精力的にデモを行いました。このとき、CADIX でも同じデモを見たという話を良く聞きました。このころから、CADIX と Massteck との間でコンタクトが始まっていたようでしたが、後に CADIX にMaxEDA ソースコードが販売されます。そしてこれをベースに機能が拡張された CADIX OHM-XID が販売されました。

そのころ、CADIX からリリースされた回路図エディタも CADCAM Group の ECS と同じもののようでした。当時、UNIX ツールのWindows への移植が始まっていましたが、Windows ツールからUNIX への移植は珍しかったように思います。このような現象に疑問を感じつつも、自分たちの販売している Massteck 製品の技術水準の高さに自信を持つことができました。

1995年にMassteck がOrCAD に買収されるまでの間、数多くのデモをこなしました。自慢げにデモをすると大抵は驚いてもらえましたが、相手を驚かせただけで終わってしまう事が多く、あまり多くの売り上げを得ることはできませんでした。また、このようなデモによる直販に加え、MM-2 用オートルータとして、いずみや IC さんにも販売していただきました。

Massteck の半自動配線ツールの完成度は、1992年に発売されたMaxRoute Plus Ver. 4x が最も高く、デモをしていても大変面白かったように記憶しています。今の高性能なWindows 環境で使えばどんなにすごいことになるか、一度試してみたいと思いますが、残念ながら手元にMaxRoute はありません。

MaxRoute の販売で想定外だったのは、Masstek と PADS との間で PADS 用 MaxRoute の独占販売契約が結ばれたことでした。この契約により、PADS との併売を目的に MaxRoute の輸入を始めたのにもかかわらず PADS 用の MaxRoute の輸入ができなくなり、PADS の国内販売元であるキョウデンから仕入れなくてはならなくなってしまいました。

とにかく、売り上げよりもむしろ海外人脈の開拓と、商売の彩りに大きな貢献があった Massteck でした。

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PADS の記憶

(旧プロテル探検隊からの転載)

PADS とのかかわりはCADユーザとして始まりましたが、社内での使用と並行してPADS 販売に向けての準備を始めました。

まず手始めに、協力関係(とはいっても助けてもらっていただけでしたが...)のあった基板設計専門会社に、PADS を紹介してみました。ちょうどPADS を使い始めて 2-3 ヶ月後くらいのことです。PADS ビジネスのきっかけを探ると共に、本格的な基板設計会社が PADS にどのような評価を下すのかということに、大変興味がありました。

この時、半日程度のデモの結果、私たちが使っているものとほぼ同じ構成のもの買ってもらう事ができました。しかしその後、数日間のトレーニング等を行いましたが結局は業務には使用されませんでした。この時はじめて、既存のものと操作性の異なるツールを受け入れてもらうことの難しさを知りました。

私たちは PADS による基板設計業務が軌道に乗り始めまもなく、社内使用と商品開拓を兼ねて当時米国で販売されていた、PADSのオプションを買い揃えました。ソフトウェアでは PADS Push and Shove インタラクティブルータ、ハードウェアでは、#9 スクロールボードなどを購入しました。

PADS Push and Shove インタラクティブルータは後に機能が拡張され、Massteck の MaxRoute として販売されます。しかし当時のコンピュータでは PADS Push and Shove は応答が遅すぎて使い物になりませんでした。一方 #9 スクロールボードは使えました。当時 1024 x 758 のグラフィックボードでも 512KB のVideo RAM しか搭載していませんでした。しかし #9 スクロールボード は 4MB の RAM を積んでおり、8 倍の表示面積をスクロールして瞬時に見渡すことができました。再描画に時間のかかる PADS にとって、これは大変実用的なオプションでした。

その後、1990 年の中旬くらいから、国内でのPADS 販売への参入を試みました。このころすでに PADS の国内代理店は 4 社(ハイレル、尾崎産業、CRCテクニカル、CAD プロダクト)もあり、すでに過当競争の状態にありました。1989 年のJPCA ショーではPADS 代理店の出展は尾崎産業だけでしたが、1990年のJPCA ショーでは、4 社の全てがブースでPADS を展示し、CAD エリアからあたりを見回すとのどこからでも PADS の看板が目に入るような状態でした。(若干記憶に誤りがあるかも知れません)

当時 PADS はまだ普及が始まったばかりでしたが、このPADS の盛況ぶりをみて、PADS が日本で一番メジャーなCAD ツールだと勘違いした人は多かったと思います。このように、4 社の代理店間の競争によってPADS の露出度は高まり、PADS の知名度は急速に上がりました。

この競争原理に基づいた代理店戦略は大成功を収め、PADS は急激に浸透しました。たぶん一社の総代理店にまかせた場合には、こんなにうまくは行かなかったと思います。しかし一方、分散化によりまとまった営業投資が出来ないという弊害が生じ、雑誌広告もほとんど行われておらず、日本語マニュアルもない状態でした。

そこで私たちは、この PADS の代理店戦略の隙間を埋めることにより PADS のビジネスへの参入を行うことにしました。そして当時、切望されてていたPADS マニュアルの日本語化を行い、CAD Software 社に対して PADS の代理権を取得すべく申し入れました。しかし当時の営業責任者(Michael Marsh - HG.Marsh 社長の 三男)には、これ以上日本にPADS の代理店はいらないと言って断られました。

結局、この PADS 日本語マニュアルは、開発元の CAD Softoware 社に買い取ってもらうことになり、このマニュアルの対価として、PADS ソフトウェの現物を数本受け取りました。そして、このパッケージを売りさばくことにより、私たちの CAD 販売ビジネスが始まりました。私たちは当時、CAD 販売については全くの素人でしたが、社内で実務に使用していましたので商品知識は充分にあり、このビジネスへの参入に対して全く不安はありませんでした。

とにもかくにも、現金を支払うことなしに商品を手に入れることができ、リスクの無い幸運な船出をすることができました。

PADS セールス最後発の私たちは、他の代理店に対して明確な差別化を計る必要がありました。実際に社内で PADS 使っているということがこの差別化に役立ちました。また、当時の CAD ツールはソフトウェア単体ではなく、ハードウェアを含めたシステム(欧米ではターンキーシステムと呼ばれていた)で販売されていました。このため、プラットフォームとして使用するコンピュータ等のハードウェアや、関連ソフトウェアツールによっても差別化が可能でした。

当時すで社内使用のため CAD 関連商品の輸入を行っていましたが、他社との差別化のため、さらにこれらの輸入を推し進めました。PADS PCB の販売に注力した 1990 年から 1992 年くらいにかけて輸入した商品には次のようなものがありました。

(1) ハードウェア
・ i486 CPU 搭載の AT 互換機(自社ブランド T486 コンピュータ)
当時国内には品質の良い物が少なかったので、高品質なマザーボードを中心に、レギュレーションのよい電源等を組み合わせたものを米国から輸入した。
・ グラフィックボード
ATI 社製の MACH 32 チップ搭載のボートや、VIDEO7 等のボードを輸入した。PADS では、サポートされている高解像度グラフィックボードの種類が限られており、PADS に適合するこれらのボードは国内での入手が難しかった。
・ Telebit Trail Blazer 高速モデム
当時、Gerber データ転送用に用いられていた定番モデム。国内ではあまりにも高かったので輸入した。
・ Qualstar MT 装置
これは、DAT ではなくオープンリールの MT 装置。当時はまだオープンリールの MT 装置が一部で使用されていた。国内ではあまりにも高価だったので輸入した。

(2) ソフトウェア
・ Massteck MaxRoute オートルータ
PADS SuperRouer の配線品質とオフグリッド配線能力に問題があったため、その代替として輸入を始めた。
・ ECAM Gerber エディタ
PADS には CAM 編集機能がなかったためこの機能の不足を補うため輸入を始めた。

これらの周辺機器とのシステム化により 2-3 年の間なんとか競争力を保ち、採算の取れるレベルで PADS ビジネスを展開することができました。またこれらの周辺機器は単体での需要もあり、i486 AT互換機を中心に同業者の方々にも多数購入していただきました。

1992 年には、PADS 販売の主力は 32 ビット版の PADS2000に移行します。このころ、PADS Software 社は、基板メーカであるキョーデンに買収され、国内のディストリビューションはパッズ・ジャパンに移管されます。これ以後、旧来からの PADS 代理店との競争がほとんどなくなり、代わりにキョーデン/パッズ・ジャパンとの競争に晒されることになりました。約一年くらいの間この困難な環境に耐え忍び PADS の販売に注力しましたが、1993 年以降は Protel に主力を移し、デザインエントリーマーケット向けの CAD ビジネスに移行しました。

とにかくこの間、売れそうなものは何でも輸入して売りました。また当時はノートブックコンピュータが普及しておらず、デスクトップコンピュータを車に積んでデモに出向きました。このため社用車の走行距離が1 年に 50,000km を超えた年もありました。

とにかく苦労はしましたが、基板設計で会社を立ち上げたあと、PADS で CAD ビジネスの基盤を築くことができました。いま振り返ると、当時は大変忙しくまた極めて充実した期間でもありました。

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PADS の記憶 - ユーザー編

(旧プロテル探検隊からの転載)

テクスパートは 1989 年に基板設計受託業務によってビジネスを開始しました。そしてこの時使用したのが 16 ビットの初代 DOS 版の PADS PCB です。

PADS を購入する以前に、OrCAD PCB を購入しましたがとても仕事に使えるレベルのものではなく、また Protel Autotrax も評価しましたがベタの作成機能が弱く選定から外れました。

PADS の評価は、日本で最初にPADS の販売を初めたハイレル社から評価版プログラムを入手して行いました。幸運にもハイレル社とは、以前に在籍していた楽器会社での取引以来付き合いがありました。そして営業担当の方のご好意で非常にいいタイミングで PADS を紹介いただくことができました。

この PADS の評価版プログラムには、基板設計プロセス全般を網羅したチュートリアルが付属していました。これは非常に分りやすく書かれており、それまで PCB CAD を使ったことの無い私たちでも、CAD の機能と設計方法が理解できました。そして、このチュートリアルの中には、自信に満ちあふれたコメントがいくつか含まれていました。

その中に「PADS は他の安価のCAD とは一線を画する高度な製品ですので、決して他の安価なCADとは混同されないようように忠告します」という意味のくだりがありました。たぶん、Tango や Protel も似たような価格で販売されているが、PADS をこれらの安物といっしょにされては困るということを言いたかったのだと思います。トライアルの過程で、PADS の機能の素晴らしさもさることながらこのセールスコピーにも感動し、PADS の導入を即断しました。余談になりますが、このお気に入りのコピーは以後のProtel のセールスに転用し、たびたび使用させていただきました。

PADS PCB は、米国の CAD 販売店から購入しました。(紹介いただいたハイレルさんには大変申し訳ないことでした)当時米国では、PADS PCB の基本モジュールが 995 ドルで売られていました。しかしこれには拡張メモリ(EMS)のサポートと Geber 出力機能が含まれておらず、オプションを追加して仕事に使用できるレベルに拡張すると 2,000ドルくらいになりました。当時国内では、これに簡易オートルータを加えた 3,000 ドルくらいの構成のものが 1,450,000円で売られていましたので、3倍以上の内外価格差がありました。

そしてこの必要最小限の構成のものを 3 台と、4,500 ドルの SuperRrouer を購入して基板設計業を始めました。

導入後 PADS はすぐに立ち上がり、両面から 6 層程度の基板を中心に受注しました。設計技術が未熟な初期の段階で規模の大きい基板の設計を受注してしまい大変苦労したこともありましたが、PADS の機能上の問題で困ることはあまりありませんでした。また PADS プログラムは非常に手堅く作られており、斬新な機能が無い代わりにバグが少なく、非常に安定に動作しました。このように PADS は期待通りに稼動し、当時の相場だった 1000万円 のCAD を使っている同業者との競争にも負けることはありませんでした。

受注の際には PADS で設計困難な案件は避けるようにしていました。当時の PADS には、主に 16 ビットの制約により次のような能力不足がありましたので、難しい基板の受注を避ける事が必要でした。

(1) 分解能が 1 mil であり、ピン間 3 本の基板の設計ができない。
ただし、SuperRouter は 0.5 mil の分解能がありピン間3本の配線ができた。
(2) 4000ピンを超える大型基板が設計できない。
EMS をサポートしており、配線のセグメント数には制限は無いようでしたが、部品データは EMS によって拡張されたメモリエリアにマップできないようでした。このため QEMM386 でマウスドライバーその他をアッパーメモリブロックに退避させ、コンベンショナルメモリを最大化して使用していました。
(3) 円弧配線、円弧形状のベタエリアが作成できない。
2D ラインと呼ばれる電気属性を持たないオブジェクトでは円弧がサポートされていましたので、これを使ってごまかすしか方法がありませんでした。
(4) 描画速度が遅い。
これは、当時の非力はハードウェアではやむを得ないことでした。

その後 PADS は 32ビット化された PADS2000に移行します。これによりいままでの 16 ビットの PADS での制限が一挙に取り払われました。テクスパートでもこの新バージョンに移行し受注の範囲を広げることが可能になりました。しかしこの頃すでにビジネスを CAD 販売に移行していたため、基板設計業務を積極的に拡大することはありませんでした。

テクスパートでPADSを使用したのはこのPADS2000までです。その後 PADS2000 は Windows 版に移行し、さらにその後 PowerPCB が出現しましたが、テクスパートにとってこれらはすでに、単なる Protel の競合商品でしかありませんでした。

このように、PADS によってテクスパートは起業し、ビジネスの基礎を築くことができました。このような優れたCADが安価に提供されたことに対して大変感謝しています。そしてこれにめぐり合えたことはほんとうに幸運でした。もしこれが無ければ、テクスパートが Protel を販売することもなかったでしょうし、今このような与太噺を綴ることもなかったことでしょう。

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今は昔.. PC-CAD今昔物語

ここのところしばらく、Altium Designer の機能の解説やイベントの紹介など、カタイ内容の記事が続きましたので、ここらでひとつブレイクを入れたいと思います。

とはいっても、ネタが乏しく文才もありませんので、旧プロテル探検隊の 「今は昔.. PC-CAD今昔物語」 のカテゴリから、以下の記事を 7 連発で転載することにいたしました。

PADS の記憶 - ユーザー編
PADS の記憶
MASSTECK の記憶
P-CAD の記憶
TANGO の記憶
OrCAD の記憶
PSpice の記憶

10年以上も前の話ですので、若いエンジニアの方々には面白くも何ともないと思います。しかしDOS から CAD をお始めになったベテランエンジニアの方々には、混沌としたPC-CAD 黎明期の状況を思い浮かべながら、楽しくお読みいただけるかもしれません。

今思い起こせば当時、多くの種類の CAD 製品の輸入販売に注力いたしました。しかしほとんどの製品はいいところまで行くと開発元が大手企業に買収され、それまでの努力が報われることはありませんでした。しかし幸運なことにプロテルだけは例外で、買収する側にまわり大きく成長しました。

いずれにせよ昔話ですので、日々の仕事役立つことはございません。あくまで息抜きということでヨロシク ...

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2008年01月20日

アルティウムの近況

(1) EDS fair 2008 に出展

アルティウム ジャパンは今月 1月24日と25日にパシフィコ横浜で開催される、EDS Fair 2008 に出展します。

展示会場での Altium Designer 6.8 の展示に加え、出展者セミナーでも紹介が行なわれます。この展示会におこしいただくと、FPGA 開発を含むエレクトロニクス開発プロセス全域を統一する統合開発環境と、新しい 3D 機能をより詳しくご覧いただくことができます。

EDS Fair トップページ http://www.edsfair.com/
EDS Fair 2008 開催概要 http://www.edsfair.com/about_eds/exhibition.html
EDS Fair 2008 出展者セミナープログラム
  http://www.edsfair.com/pdf/eds08_seminar.pdf?xxx=1200795442
アルティウムジャパンの展示内容
  http://www.edsfair.com/examination/details.php?cd=11&xxx=1200794213

アルティムジャパンの小間番号は 708 、登録カウンタ付近の入り口(3つあるうちの中央)から入り、真ん中左よりになります。

EDSF08.jpg
(2) アルティウムのホームページ

Altium Designer 6.8 のリリースに合わせて、ホームページの更新が行なわれています。画面の左からロボットがテクテク現れ、Altium Designer 6.8 の新しい 3D 機能を知るための新しいコンテンツを紹介します。

ここからはデモビデオ、新機能のリストへリンクが張られていますので、手間取ること無くAltium Designer 6.8 に関する情報にアクセスすることができます。また気分転換にゲームをお楽しみいただくことができます。

また、アルティウムジャパンのホームページは、着実に日本語化が進んでいます。しかし、日本語ページがあるにもかかわらず、英語ページに飛んでしまう場合が多々ありますので、このような場合には日の丸ボタンをクリックしてみてください。
Altium_Japanese.jpg

アルティウムの英語サイトでは、2007年 7月から12月までのアルティウム社の業績レポートが公開されています。これによると、以前よりは売上げの伸びは鈍化しているようですが依然として順調な成長を続けています。
Altium Limited update on expectations for half year financial results(For immediate release)
http://www.altium.com/files/corp/media/pdfs/20071224ExpectationsForHalfYearFinancialResults.pdf

(3) アルティウム ジャパンのトレーニングセミナー

ホームページ上では案内されていませんが、引き続きAltium Designer のトレーニングセミナーが定期開催されています。このセミナーの概要は以下のページで紹介されています。
トレーニングセミナーの近況 http://anvil.co.jp/altium-info/cadlog/2007/10/post_49.html

このセミナーには相変らず人気がありすぐに満席になる状況です。特にPCB セミナーへの受講希望が殺到しており、今お申し込み頂いても受講は 3月になってしまう状況です。しかし、キャンセルで空席が出たり臨時開催される場合もありますので、弊社またはアルティウムジャパンまで空席状況および日程をお問い合わせ下さい。

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2008年01月18日

Altium Designer の部品表

前回、レポート機能を紹介しましたが、その中の部品表について少し説明を加えます。

"Bill of Materials" コマンドを起動するとすぐに部品表が現れます。この画面には、ボタンやチェックボックス、プルダウンウィンドウなどがあり、これらによりおおよその機能が把握できます。そしてこれらの機能を使って部品表をカスタマイズすることができます。

bom3.jpg
しかしこの部品表には、画面を見ただけではすぐに気が付かない重要な機能があります。

その一つがグループ機能です。特定のフィールドーデータを参照して同じデータを持つものを一つのグループにまとめて員数を集計する機能です。デフォルトでは、Comment と Footprint によってグループ化されるように設定されています。この設定は、ドラッグ アンド ドラッグで "分類する列"のエリアにフィールドを加えたり、除外したりすることによって行います。例えば、メーカ名ごとに部品の員数を集計したい場合には Manufaucture フィールドを"分類する列"の部分にドラッグ アンド ドラッグで移動します。

もう一つは、ソート機能です。表示された部品表の各列の最上部のタイトル部分をクリックすると、昇順/降順での並べ替えができます。これについては他の Windows アプリケーションと同じです。しかしこの Altium Designer の部品表には、"Shift" + クリック に特別なソート機能が割り当てられています。

"Shift" + クリック でも、単なるクリックと同様に昇順/降順での並べ替えが実行されます。しかしこの"Shift" + クリック の場合には以前に実行された並べ替え結果を保持したまま、並べ替えが行なわれます。

例えばまず、RibLif のタイトルをクリックして部品の種類ごとに並べ替えます。これで、抵抗やコンデンサなどの部品ごとに分類表示されます。そしてそのあと、Comment のタイトルを "Shift" キーを押しながら クリック すると、直前に行なった RibLif での抵抗やコンデンサなどの部品ごとの分類結果を保持したまま Cmment(抵抗やコンデンサの定数 )での並べ替えが行なわれます。

この"Shift" + クリックによる並べ替えは見落としがちな機能ですが、実用上必要な機能ですので覚えておいてください。

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2008年01月17日

Altium Designer のレポート

言うまでも無くCAD ツールの最大の利点は、データによる設計情報の伝達が可能なことですが、図面の目視による情報の伝達においても CAD には多くの利点があります。特に Altium Designer は多くの優れたレポート機能を備えており、これらから生成される多彩なドキュメントを設計内容の確認や、次の工程への情報の伝達に利用することができます。

そこで今回は、数ある Altium Designer のレポート機能の中から主要な 3 つの機能を紹介します。

(1) スマート PDF
回路図やPCBなどのデザインデータを PDF フォーマットへ変換します。
プリンタドライバとして組み込まれた PDFWriter/Acrobat DistillerPDF などを利用する場合よりも格段に操作性がよく、任意の複数のドキュメントを一気にPDF フォーマットで保存することができます。また、PDFのしおり機能を利用して目的のオブジェクトにジャンプすることができます。

smartpdf1s.jpg
smartpdf2s.jpg
Altium Designer の製品ライセンスが無くても、フリービューワを利用すれば図面を開くことができますが、このスマート PDF機能を利用すればこれよりもさらに簡便な方法で回路図を利用することができます。

(2) ライブラリレポート
ライブラリファイルに含まれている部品の図面を自動的に作成します。回路図シンボルやフットプリントの絵柄と寸法が示されます。事前にライブラリの内容を確認したいという場合に便利です。また設計完了後にプロジェクトライブラリを作成してそのライブラリからライブラリレポートを作成することにより、設計に使用した部品に誤りが無いかどうかのチェックを容易に行なうことができます。

librep1s.jpg
librep2s.jpg
なおこのレポートは WS Word および html フォーマットで保存することができます。

(3) 部品表 (Bill of Materials)
フォーマットを柔軟にカスタマイズすることができます。表示項目を部品の属性およびスペシャルストリングから自由に選択するこtができます。また、リンクしている回路図シンボルとPCBフットプリントの両方の属性を表示項目に加えることができます。さらに、グループ化の機能がありますので部品手配の際に必要になる員数の集計を自動的に行なううことができます。

boms.jpg
bom2s.jpg
すでにこれらの機能をお使いの方も多いと思いますが、まだお使いでない導入直後のユーザやトライアル中の皆様は是非とも一度お試し下さい。

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