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2008年06月15日

秋葉原のおやじさん

秋葉原がオタクの町と化して以来、昭和の青年にとっては足が遠のくばかりでしたが、それでもまだ、現役でがんばっておられる先駆者御大の姿を思い浮かながら、徘徊する楽しみを与えてくれる町でした。しかしそれも少しずつ遠のきつつあります。

6月6日、秋葉原の「おやじ」こと、ぷらっとフォームの本多さんが亡くなられました。

本多さんとは過去に一度だけ話しをしたことがあります。もう 15 年くらい前、アルティウム製品(当時のプロテル)を秋葉原で売ろうと画策したことがあり、そのとき真っ先に立ち寄ったのがぷらっとフォームでした。要するに飛び込みの営業に伺ったわけです。

このときの話しの内容はうっすらとしか覚えていませんが、当時普及していた国産PCと IBM-PC/AT で標準化されていた海外の状況との乖離、そしてそれを打ち崩そうとするプロサイドの話、そしてそのプロサイドの椎名さんの話やソードの話などを聞かせていただきました。特に当時プロサイドが企画していた、NEC-PC98 と PC/AT の両方のソフトが走る互換機の話で、えらく盛り上がったことを記憶しています。

そして最後に、Advanced Schematic のカタログをカバンからどっさり取り出して渡そうとすると、「そこが空いているから置いておくといいよ」と、快くカタログの陳列をお引き受け下さいました。

このことに勇気付けられ、秋葉原の他の店にも営業にまわりました。そしてこれがプロテルを秋葉原のショップ経由で販売することの足がかりになりました。

秋葉原から遠くはなれた浜松市のCAD屋(当時のテクスパート)でさえも、こんな形でお世話になっているわけですから、コンピュータ業界に与えた影響は計り知れないものがあったはずです。

この訃報に接して、本多さんの功績は自らが経営した会社の業績よりもむしろ、このようなかたちでの社会貢献であったのではないかということを、今あらためて実感しています。

昨今の効率重視の環境の中で、このような気概と顔を持った経営者が少なくなったことに、物足らなさを感じているのは私だけでしょうか?

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